Doctor's
東京医科大卒。同大学心臓血管外科、田無第一病院(現西東京中央総合病院)を中心に診療にあたる。同院にて循環器科を設立、循環器科部長として日本循環器学会研修施設認定を取得。東京都CCUネットワークに加盟して循環器専門施設として確立。地域における研究会等の世話人を多く務め、西東京市医師会発足以来20年にわたり循環器医会の会長を務める。時代に即した循環器疾患診療の普及に努め、講演多数。
私は医師になった当初から、心臓血管外科を指向していましたが、大学の分院である霞ヶ浦の病院での経験が、まさに私が目指していた医師としての在り方の礎を確立してくれたと思います。ここは臓器別の診療体制を取る、当時としては珍しい病院で、循環器内科と心臓外科が連携しながら診療を行っていたのです。
たとえば心臓カテーテル検査。今では専ら循環器内科の先生方が手がけますが、霞ヶ浦では心臓外科医も循環器内科医とともに、検査から治療までを行う体制が作られていました。私はとても興味を惹かれ、「これは検査から治療まで、ひととおりのことができるように腕を磨かなくては」という思いを強く抱きました。また当時、心臓外科領域においては、技術レベルに病院間で大きなばらつきがあり、それは麻酔科任せの術後管理も影響しているのではないかと考えるに至り、「心臓外科医は手術の技術を磨くだけではなく、外科医といえども内科的な視点は重要だ」ということを、身にしみて感じました。
その後、東京医科大学の本院に戻り、麻酔科での心臓麻酔の経験を積んだのち、田無第一病院(現・西東京中央総合病院)に派遣されることとなりました。当時の田無第一病院は増床に伴い血管外科ができる病院を目指すとのことで、医局(のちに東京医科大学心臓血管外科主任教授となるI先生)から外科医として一〜二年勤務するよう命じられました。時を同じくして内科には、霞ヶ浦病院で共に働いた循環器内科のH先生が派遣されていたため、勤務を始めた二年目、私はI先生に、「同じ医局出身で長く同病院に勤務しているH先生とともに循環器科を立ち上げ、I先生から理事長に病院全体を臓器別診療科に再編してもらうよう働きかけて頂きたい」旨を提案しました。私がそのような構想を描いたのは、田無第一病院が改装に際して、手術室の中に血管撮影装置が設置され、手術室に直結した広いICUが設けられており、これはI先生の提言を理事長が受け入れて実現したものだったからです。そして三ヶ月後には循環器科が発足し、六ヶ月後には心臓外科手術を開始しました。
派遣される三年目以降は医局から二〜三人の後輩を派遣してもらいましたが、循環器内科は交代人事のみ、常時一人の派遣だけであり、内科領域の診療が増えるにつれ、私が携わる診療も内科領域が主体となっていきました。
地域の先生方の信用を得、信頼して頂くためには、医療の質が重要です。冠動脈カテーテル治療に関しては、医局から専門施設に出向し、十分な技量を習得した(後に常勤となる)後輩が同院の診療に従事していたため、地域でトップクラスのレベルでしたが、同院も含め東京医大関連施設の心臓外科レベルは全国平均かそれ以下であったため、当時「神の手を持つ心臓外科医」と呼ばれたW先生(当時はT大学講師、後のK大学教授)をお招きし、心臓手術全例を執刀していただきました(その後W先生は東京医大の教授も兼任し、東京医大の心臓手術も手がけるようになりました)。
医学は日々進歩していきます。新しい技術や治療法、薬の使い方などは全国レベルの学会で発表され、我々は学会でそれらを学びます。しかしそれを日常診療に活かしていく方法は、地域の中核病院が中心となって開催される研究会で学ぶ。私自身、また私の施設でも、複数の研究会で常時演題を発表していましたし、私はこういった研究会の幹事や世話人を務めていたため、ほぼすべてに出席していました。そこで得た進歩した診療を地域の先生方に伝えるために、講演会や懇話会、症例検討会などが開催されます。私はこの開催にも携わってきました。
結局、西東京中央総合病院に二十六年間勤務しました。しかし定年が近づくにつれ、その先の身の振り方を考えなくてはなりません。私の父は八十五歳を過ぎても兵庫県の明石で診療を続けており、その跡を継いで悠々自適……という選択もありましたが、それも心苦しいことでした。そこで私は、慣れ親しんだ西東京市で開業することにしました。また私は地元の医師会活動にも積極的に関わってきました。田無市と保谷市の合併により西東京市ができた時には、医師会の組織改編に伴い「循環器医会」を立ち上げ、地域の医師同士の連携や勉強会の開催なども行ってきました。その中で、高血圧や動脈硬化、心房細動、心不全など高齢化に伴って多くの人が患う疾患を、逐次改正される診療ガイドラインに沿って臨床現場にどのように落とし込むかという取り組みにも力を入れてきました。そしてこれを目の前の患者さんに伝えるには、患者さんに理解し納得して頂けるよう、しっかりと説明することが重要だと感じました。
私は自院のホームページに「私の専門は説明です」と掲載しています。例えば高血圧で訪れた患者さんには、高血圧とはどんな病気かを説明します。健康診断で心電図異常を指摘された患者さんには、心臓の仕組みや心電図の読み方などから説明します。その他の外来患者さんにも、必要に応じて心エコーやホルター心電図、頸動脈エコーなどの検査を施し、なぜ治療しないといけないか、薬を飲むだけが治療ではないことなどを、一時間ほどかけて説明します。患者さんに安心してもらうには、ただ「異常ありません」と言うだけでは足りません。その根拠まで理解できないと、患者さんは納得してくれないからです。
こうした私の流儀を実践するには、三人のスタッフの存在が欠かせません。三人はそれぞれ臨床検査技師、看護師、医事科職員・クラーク(医療補助)と、経歴はまちまちですが、いずれも私の古い同僚です。彼らが各種の検査や秘書的業務、カルテの入力やレセプトチェックなどの事務作業を引き受けてくれるおかげで、私は患者さんとじっくり向き合い、診療に専念することができるのです。開業医になると、勤務医時代には思いもしなかった多くの作業を、こなさなくてはならなくなります。その負担を大きく軽減してくれるスタッフに恵まれたことは、私にとって幸いであったと思います。
患者さんにとって、病気や治療を正しく理解することは、治療の質を高めるためにもとても重要です。私の役目は、そこをいかに噛み砕いて伝えるかということだと思っています。今後は地域での医療の提供のみならず、これまでに自分が学んできたことを言語化して、患者さん向けの「受診ガイドブック」的なものを作り、書籍やメディアを通して世に伝えたいと考えています。